2011年 03月 15日 ( 1 )

3月11日

この日のことを書いては削除する。
何度も繰り返してしまいました。

悲惨すぎる状況の方々の様子を見ては
どの言葉も軽く、誰かを傷つけたり、
不快な思いをさせてしまいそうで
upできませんでした。

自分自身も少し落ち着きましたので、
冷静に自分に起きたこと、感じたことを
綴ります。

11日2時46分
私はマヤ暦を共に学んだ仲間と
新宿NOWAビル8Fの「響」で食事をしていました。

「揺れてる?」と言ったあと聞いたことのないような
建物の骨がきしむ音がしました。
お店の若い男の子が冷静な指示を出してくれ
皆、テーブルの下にもぐりこみました。

テーブルの足を握らないと飛ばされそうなほどの揺れ。
どれだけ長いこと揺れていたでしょう。
食器や鍋など叩きつけられるような音
恐怖の中『だいじょうぶ!』と叫び続けました。

揺れが収まったので階段を使いビルの外へ。
ルミネの窓ガラスが落ちてきたり、
波のように揺れてるガラス張りのビルを見上げながら
「新宿御苑に行こう!」と仲間と動き出しました。

お互い氷のように冷たくなった手を
しっかり握りながら小走りで向かいましたが
道は人人人・・・我先にとパニック状態の人ばかり。
これは危険と判断した時、横に「都立新宿高校」がありました。

既に校庭にはたくさんにの避難者がおり、
余震のたびに悲鳴が響きました。

空が灰色になり、雨が降り出し、
トイレを借りようと校舎に入ると
高校の先生が食堂に誘導してくださり、
そこで翌日まで避難することになったのです。

200人以上の人がいたと思います。
途中からどんどん増えましたが歩いて帰宅しようと
出て行く人もいました。

家族と全く連絡がとれない状態でしたが、
家族が無事でいることを信じ、
情報も、暖も、トイレも、仲間もいる
ここで待つと決めました。

翌朝まで同じ恐怖を体験した人が
同じ不安を抱えながら学校で過ごしました。

希望を捨てたのではなく、
もしものことがあったとき、
私を証明するもの、と紙に
名前・住所・家族の名前と電話番号を書きました。
そっと下着の中にしまいました。

強い余震が続き、テレビで東北地方の様子を見たとき
下着の中から紙を取り出し、
家族へのメッセージを書きました。
私の言葉ひとことが強く生きていく何かの力になれば、
そう思って書き加えたのです。

書き終えて少し安心したら
仲間のひとりが、黙って背中をさすってくれました。
こらえていたものが一気に溢れだし泣いてしまいました。

彼女だけでなく、
こんな状況の中、没我の精神で
誰かのためにできることをする人、
思いやりのある人に出会いました。

新宿高校を卒業したばかりの女の子、
友だちに会え、別の教室に行くとき、
自分のために勝ったパンを私達に置いていってくれました。

近所のコンビニに行ってきたとお菓子やキャンディを
わけてくれた女性。

トイレ掃除を自らしていた女の子。

充電器をまわりの人に貸している人。

長い時間の中でいろいろなことを考えました。
私にできることはな何だろう?

こんな時だからこそ
穏やかで安心な方向へ
少しでもこころが向くように
空気を汚さないようにしようと思いました。

でも感謝の気持ちがいっぱいだったので
無意識にそんな気持ちが、行動となりました。

朝、高校を出る時、
職員の方々が「気をつけて」と見送ってくださったのです。
ひとりひとりにお礼をして新宿の街に出ました。

既に家族が無事であることも確認できていたので、
チカラをつけてもらって自宅に向かいました。

6時間かけ自宅に着き、ひと呼吸してから
液状化現象のひどい道の泥かきをしました。

今でも断水状態ですが
電気はきているのでどうにか頑張ります。

娘と避難用の荷物を準備しながら、
大事なモノだけ持つように言うと
「自分と家族のいのちがあったから他はもういい」

私も同じでした。
思い入れのある服も靴もバッグもなくてもいいんです。

ずっと一人で親を待った14才の娘は
今も常に体が揺れてる感じがあるし、
すぐドキドキします。
私と会ったときもしっかりしていて、
未だに涙を一粒も流していません。
いつでも感情を吐き出してもいいよう
私がそばにいて安心させるしかないです。


せっかく助かったいのち。
生きていてよかったと、自分だけでなく
みんなが思えるような明日が来るよう
祈りながら、行動していこうと思っています

もうこれで充分、という暮らし
慎んで暮らしていこうと思います。

ひとりでも多くの命が救われますよう、
心から心から祈ります。
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by marion49 | 2011-03-15 13:03